【医食同源】NO1 昭和50年までの社会の様子。

 
このシリーズは月に一度で5回に分けて書く予定です。

このような話は読まれている多くの人は多分初めてだと思います。しかし過去の日本社会において実践した歴史があるので、それを思い出して実行して欲しいと思います。

若い人はじいちゃん、ばあちゃんに聞いて本当にあった話なのか確認して実行して欲しいと思います。そうすると認知症、ひざ痛の他熱中症、骨折予防、冷え性、便秘、頻尿、健康な人はより健康になり、小さな子供の時から食べていると大人になった時ス-パ-マンなれるのではなになれるのではないかと考えます。

 

このス-パ-マンと言うのは昔の野球の投手例えば金田、権藤、稲尾などは今の投手の2倍3倍位投げているのに肩、ヒジなどの故障がなく30勝40勝あげているのです。

特に稲尾投手などは日本シリーズで4試合連続完投で勝利し当時は神様、仏様、稲尾様、と言う言葉が流行したのです。この事は今の時代から考えると、ス-パ-人間ではないかと考えます。

日本社会は昭和50年頃までヒザ痛、認知症の人は、いなかったのです。
何故いなかっと言い切れるかと言うと、まずヒザ痛ですが、その理由として昭和50年頃までの葬式は今のように葬儀場は少なく、多くはお寺とか集会場に葬式を行った時で、

当時は畳の上に座布団を置いて僧侶がお経を読み上げる時は、ほぼ全員が正座して葬儀を行ったのです。

ほぼ全員が正座が出来たと言うのはヒザが痛いと言う人は誰もいないと言う事です。なおヒザが痛いと正座は出来ません。当時の人は今の人の2倍3倍歩いていますから軟骨も2倍3倍擦り減っていると予想されるのに誰もそのような人はいないのです。

 

なお小さなイスがお寺に普及したのは平成に入ってからで、ここを調べるといつ頃からヒザが痛いと言う人が増えたか分かると思います。平成25年頃からでもホテルとか旅館の宴会の席でイスが使われヒザが痛い人がだんだ増えています。

 

次に認知症ですがこの言葉は最近使われた言葉で、最初使われたのは昭和50年中頃にアルツハイマーと言う病名だったのです。日本語名の病名でないと言うのはそれまでそう言う人がいないので世界から探して名前を付けたと思われます。

次に痴呆症になって今は認知症です。2012年統計で65才以上は2300万人の人がいて認知症患者は460万人いるそうです。

昭和40年の高齢者の人口70才以上は380万人いますから同じような比率で考えた場合80万人の認知症の人がいても不思議ではないのです。当時それだけの人数の認知症がいれば社会問題になっているし病気の名前も日本語名になっても不思議ではありません。つまり社会問題になるような人数がいなかったと言うのが妥当な考え方です。

早ければ30代40代になる若年性認知症と言う言葉は平成10年頃の言葉でそれまでそのような人はいなかったと思います。先日(平成28年12月)あるテレビでそのような人は5万人いると言っていました。 

では何故現代はこのよう認知症とかヒザ痛が多い社会になった原因は昭和40年頃から冷蔵庫の普及によりスイカを食べなくなったのが原因の1つで、もう1つは健康の考えが東洋医学の考え方から西洋医学の成分栄養学に変わったのでこのような結果になったのです。
そこで昭和30年40年当時どれ位スイカを食べていたか八百屋さんに色々聞いてみると、1日に100個位売れていたそうです。当時は街にはスーパーがなく街の中のいたるところに八百屋さんがある時代でした。

そこで八百屋さんの件数など調べて人口1万人に対して毎日千個のスイカが売れていたという計算になり、年間で1人当たりM玉で約10個程度食べていたと考えられ、

当時を知っている人は大体その通りだと言っています。当時は冷蔵庫がありませんから体を冷やすのはスイ力が1番よくて井戸などに入れてよく食べたのです。

もうひとつ時代背景が違うのは当時は今と違って農業で生計を立てている人が多くいて自分でスイカを作るのです。その農家のある人の話では当時はカラスもタヌキもいないので食べ切れない位次から次と出来たのでもっと食べたという話もあるのです。

 

認知症も将来薬で治る時代が来るかも知れませんが、いつそのような薬が完成するか分からないのが困るのです。それであれば昭和30年40年当時までの生活スタイルを取り入れれば認知症とかヒザ痛の人もいない社会になると思いますので是非実行して下さい。

次回は何故スイカなのかの理由を書く予定です。